昭和58年に公園整備を行うために箕谷古墳群を発掘調査したところ「戊辰年五月」(ぼしんのとしごがつ)という兵庫県下で最古の年号を記した銘文入りの鉄刀を発見しました。
その後公園整備が完成し、銘文入り鉄刀にちなんでこの付近は“つるぎが丘公園”と名付けられました。西暦630年代から660年代にかけて造られており、これよりも少し古い時代にあたる推古天皇や聖徳太子の時代に活躍した人物を埋葬したお墓として造られた古墳であると考えています。
八木川下流域の左岸に位置し、細い谷筋を入った北、西、東の3方を山に囲まれた袋状の地形に立地しています。そして狭い範囲に2号墳から5号墳の4基の古墳が造られています。2号墳は、東西12m・南北14mの範囲に土を盛り上げた円墳です。
横穴式石室は、長さ9.6m・幅1.2m・高さ1.7mです。側壁は細長い石材を3段に積み、奥壁は2段積みであったと考えられます。3号墳は、東西9.5m・南北13.5mの楕円形をした円墳です。墳丘には外護列石が3重にめぐっています。横穴式石室では、長さ9.2m・幅1.2m・高さ1.4mです。4号墳は直径7mほどの円墳で、横穴式石室は長さ3.6m・幅0.8m・高さ0.7mほどです。5号墳は直径6mほどの円墳でm横穴式石室は長さ3.6mほどです。1人だけを埋葬するための小規模な横穴式石室となっています。但馬で初めて国指定文化財となった古墳がある古墳公園として、但馬古代史のロマンを今に伝えています。
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